言葉にする事が現実を作って行く。
という言葉がありますし、いろんな書籍も出ているくらいですね。
ポルシェを買うぞ!
買えた!
過去にはたくさん仕事の愚痴を言うときもありました。
ここ近年はこのように考えています。
仕事で愚痴を言いそうになったら、自分から改善することはないか?
反射的に、感情的に言葉に出すだけではないか?
と一旦考えて、「これは言葉に出すものではないな」と心にしまいます。
そして力になるように変換します。
心を入れ替えたら見えてきた
ケイマンを売却して、再びポルシェオーナーになるぞ!と稼ぐぞ、頑張るぞ!と意気込んでいましたが焦るばかりでなかなか上手くいかない日々が続きました。
平凡な自分ができる事は、
目の前のことをコツコツとやる。
ということを心がけて行きました。仕事の愚痴は言わない、文句は言わない、言いそうになったら自分ができる限りの改善点は無いか?と。
大きく変えようと思ったら駄目だった経験があったので、本当に小さな小さなところから手をつけていきました。
働いているところは組織なので、見えてくるモノがありました。
今までは愚痴を言っている人を見ればそういうものだと思っていましたし、言いたくなるものだよなって思っていました。
上記の心がけになってきたら、自分のことは棚に上げて相手の非しか見ていないのではないか?と思うようになりました。
ごく稀に言ってしまうのは構わないですよ。職場で毎日毎日言うのを見てると、思考がどうなっているのかと。
聞き流して自分のやるべきことに集中していますが。
部下や後輩などと行動する時は、自分からは仕事の愚痴は言わないようにしています。言ってしまったら、部下・後輩も愚痴を言っていいものだと思われてしまう。
悩みは聞きますが。
愚痴が多い人は仕事が出来ない…?
データがあるわけではありませんが、こういう傾向があるのかなと。
人のせいにしては自分が変わる事ないですし、自分が完璧と思っているのでしょうか。
でも、その立場なんでしょう?と言いたくなりますが、場の雰囲気が悪くなりますし、自分の仕事を止めたく無いので最低限は関わらないようにしています。
逆に、立場の上の人たちはどうにかしよう、どうしたら良くなる?という会話が多いと思います。責任をとるという気がひしひしと伝わってきます。
やはりこのような方の近くに居たいですし、こういう方々を近くに置きたいなと思うのですね。
人間関係では事実と感情を分ける
合う合わないあると思います。
この人合わないなと思ったら、事実として、自分の感情は抜いて「仕事の人」「お客さま」「その時の関係の人」として対応します。
合う人でしたら感情も交えてお話をします。
特に、仕事でイライラすることもあるかも知れません。しかし、
イライラしているのは自分の感情であって業務とは関係ありません。
本当にカチンとくることはあります。合わない人フォルダにポイです。反射的に対応しない。
まとめ
自分の世界は自分で作っています。
昔はよく分からないことでしたが、少しづつ自分の感覚に落とし込めるようにやっています。相手のことは変えられませんが、自分のことはいくらでも変える事が出来ますし、自由です。最初は分からない感覚かも知れませんが、ある日突然、閃きました。